作品情報 2012年デンマーク/インドネシア/ノルウェー/イギリス映画 監督:ジョシュア・オッペンハイマー 上映時間:121分 評価★★★★★(五段階) 鑑賞場所:川崎市アートシネマ、鑑賞日6月27日 2014年劇場鑑賞104本目 ドキュメンタリー
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【ストーリー】
1960年代、インドネシアでは反スカルノのクーデターが起き、スハルノ支持者や華僑が共産主義者と決め付けられ大量に処刑された。虐殺の被害者は100万人にのぼるといわれる。その多くは、民兵組織が行っていた。
民兵たちはその後のインドネシア社会の中心人物になり、共産主義者を処刑して、国を守った英雄と遇された。彼らは自分たちの行ったことを記録するために、映画を作ることにした。
【感想】
インドネシアの虐殺のことはあまりよく知らなかったけど、50年近くたっても、虐殺者たちは社会の中心におり、被害者たちはいまだに迫害されていることに驚きました。映画はアンワル・コンゴという、1000人以上を殺害した当時のリーダーが中心になります。今では孫をかわいがるいいおじいちゃん。自分たちの行ったことを後世に伝えようと、当時の民兵仲間に声をかけていきました。こんな、どこにでもいそうな人のよさそうなじいちゃんが、若いころ1000人もの人を殺したというのに驚き。しかも、彼は映画ファンで、ギャング映画のまねをして、殺害の工夫をしたというのです。
さらに、彼の友人の地元新聞社の社長が登場。気に食わないやつを事実かどうか関係なく、共産主義者として決め付け処刑していったことが明らかになります。驚いたのが、民兵団の集会に現職の副大統領が登場したり、国営テレビのニュースに登場したアンワルに、女子アナがニコニコしながら、どうやって(遺体を)処分したのですか」「それは手際がよいですね」とインタビューしていたこと。つまり、現在のインドネシアのマスコミや政治家にとっても、虐殺は誇るべきことなのです。
一方、犠牲者の遺族たちはみじめなもの。いまだに華僑の貧しい店が民兵団に用心棒料を支払うところにカメラは密着しています。また、アンワルの隣人が、遺族なのですが、継父が処刑されたことをアンワルに話すときの、おどおどした笑顔と話し方。一方手、アンワルたち民兵団のOBが、着飾った妻や娘と宝石を買いあさったり、議員選挙に立候補しているのをみると、50年たってもこうなのか、とめまいがしてきました。
問題なのは、こうした虐殺というのは、インドネシア固有の問題ではなく、多かれ少なかれどこの国でもあっただろうということです。映画のなかでも、虐殺は問題なのではと聞かれた民兵団のOBは、「アメリカだってインディアンを虐殺した。イラクに大量破壊兵器がないのに攻め入った。虐殺というのは勝者が決めるもの」と、うそぶきました。この10年でみても、シリア、スーダン、そして、中国・ウイグルなどで、虐殺に類したことがおきていますし、米軍が戦争相手でもないパキスタンで民間人を誤爆しても、なんら責めはおいません。人間というのはこんなに愚かで残酷なものかを考えさせられ、自分がもし、インドネシアの民兵団に所属していたら、どうなったかと考えさせられると暗然とします。
しかも、この映画の凄いのは、アンワルたちがとる映画が、学生の自主制作かバラエティーの1コーナーとしか思えないようなちゃちなものであり、女性の被害者役を太った民兵団OBが女装して演じたりと、あまりのシュールさに笑い出してしまうようなシーンがいくつもあることです。まじめくさって罪を糾弾するのではなく、こういうおかしな、日常の続きとして虐殺があるというのに気づいたときの衝撃といったらありませんでした。
ラストは本当に秀逸です。人間にとって希望の光が残っていると気づかされるのだけど、当事者にとっては絶望と地獄の始まりなのでしょうから。エンディングクレジットで半数以上のスタッフが、身を守るために アノニマス(匿名)と書かれており、最後まで、打ちのめされるような作品でした。
なお、町山智弘氏が伝えてますが、本作の日本試写会にはデヴィ夫人がゲストで登場。スカルノ夫人だった彼女は軟禁されたこともあり、インドネシアの虐殺をしってもらおうと訴えました。ところが翌日のスポーツ紙やワイドショーは「デヴィ夫人、川島なお美と電話」だけ報じて、虐殺の話はまったくスルー。そもそも、共産主義者の弾圧にはアメリカ政府なども資金援助を行ったといわれますし、日本政府もスカルト政権とは黒いパイプがいくつもあったといわれます。われわれとも無縁の話ではないはずなのに、情けなく、悲しい逸話だと思いました。
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