作品情報 2016年日本映画 監督:中村義洋 出演:阿部サダヲ、瑛太、山崎努 上映時間:129分 評価★★★★(五段階) 観賞場所:TOHOシネマズ川崎 2016年劇場鑑賞99本目
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【ストーリー】
江戸時代中期、仙台藩の吉岡宿は、重い年貢のため住民が次々と逃げ出し、町は貧しくなる一方だった。京都から久しぶりに故郷へ戻ってきた菅原屋篤平治(瑛太)は、穀田屋十三郎(阿部サダヲ)が役人に直訴しようとする現場にでくわす。直訴をすれば十三郎は死刑になるため、慌てて止めた篤平治は、宿を救うためには、藩にカネを貸して、利子をもらえば良いというアイデアを思いつく。
だが、計画に必要な額は1000両(約3億円)で、自分たちでは集まりそうもない。さっそく宿場の有力者たちに相談し、家財も売り飛ばして何とかしようとするが、貧乏な宿で調達するのは至難の業。そのうち、場合によっては藩を愚弄すると罪になることもあると分かり…
【感想】
藩の切れ者役人、萱場(松田龍平)がいみじくも言う台詞があります。「富を得るか、貧しくなるかは、利息を取る側に回るか、取られる側に回るかだ」。現在でも十分通用する言葉ですが、江戸時代中期になると、貨幣経済も発達し、商人だけでなく、武士にもそういう発想が必要になるのでしょう。
普段、商いの最前線にいる十三郎たちは、そのことを痛感しています。さらに、無理難題をいってばかりのお上に対して、一矢を報いる方法があるとすれば、お上にカネを貸すという逆転の発想劇でしょう。思いついた篤平治が、計画の無謀さに消極的になるものの、十三郎だけでなく、村の肝いり(庄屋)の遠藤幾右衛門(寺脇康文)や、郡をとりまとめる大肝いりの千坂仲内(千葉雄大)といった、人々をも巻き込んでいきます。これは、村のとりまとめ役だからこそ、困窮した人々を何とかしなければならないということを常日頃考えていたからでしょう。
実際、村がつぶれてしまうと、いくら庄屋だ、村の名士だといっても生き残ることはできません。村が栄えることは自分たちの子孫も助けること。目先の欲得にとらわれず、私財をなげうつ彼らの行為は、今の役人や経営者達に爪の垢でもせんじて飲ませたい。さらに、藩の代官(堀部亮)の心もうち、正式な願いとして取り上げられます。
しかし、そう簡単にものごとはうまくいきません。村のなかでも、自分の利益や名誉を優先する遠藤寿内(西村雅彦)のような人もいれば、藩の役所も先例主義だし、身分制度が確固たるなか、百姓のいうことなどまともに聞く気もありません。それを動かすのが、村の名士でも何でもない酒場の女将(竹内結子)だったり、人足たちだったりするのが面白い。名士たちのプライドをくすぐったり、横並び意識を刺激させたり、今のサラリーマン社会でも十分通用しそうです。
また、養子にでた十三郎の実家で、村一番の阿漕な金貸しと恐れられた先代の浅野屋甚内(山崎努)と十三郎の弟で当代の浅野屋甚内(妻夫木聡)に関するエピソードもすばらしい。実家と義絶していた十三郎が、歌であることに気づくシーンは、涙がでそうになりました。妻夫木の演技の幅は本当に広いと納得です。
これだけの錚々たる俳優陣をうまく演出し、脇役にいたるまで、重要な役割を与えた中村監督の手腕も立派です。特に、殿様役に演技は初めてという羽生結弦を起用できたのが大きい。演技を超越した、まさに別世界の人物で、畳みのヘリを分で歩くというのは演出ということ。仙台出身ということで彼も出演を了承したそうですが、震災の傷も完全にいえていないなか、日本人のすばらしさをみせてくれたこの作品にぴったりのキャスティングです。
阿部や妻夫木の控えめな演技、西村のオーバーな演技、松田の久々の切れ者演技など、千葉のような若手から山崎のような大ベテランまでの演技合戦も見もの。個人的には堀部が珍しく民を思う役人役で、侍のなかでも下っ端であるがゆえの悲喜劇というのが面白かったです。時代劇というと高齢者のみるものというイメージもありますが、お金のあり方も学べるし、日本人のすばらしさもわかるし、ぜひ若い人にも見てもらいたい作品です。
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