作品情報 2016年スウェーデン、ノルウェー、デンマーク映画 監督:アマンダ・シェーネル 出演:レーネ・セシリア・スパルロク、ミーア・エリカ・スパルロク、マイ=ドリス・リンピ 上映時間:108分 評価★★★★(五段階) 観賞場所:新宿武蔵野館 2017年劇場鑑賞170本目
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【ストーリー】
スウェーデン、ノルウェーなどにまたがるラップランド地方に住むサーミ民族は少数民族として差別を受けていた。サーミ出身で元教師の老婦人、クリスティーナ(マイ=ドリス・リンピ)は妹の葬儀で久しぶりに故郷のラップランドに戻ってくる。だが、自分がサーミ出身であることを恥じるように、地元の人と交わろうとせず、葬儀の儀式も欠席した。
ホテルでクリスティーナは幼い頃を思い出した。1930年代、まだ10代の少女だったクリスティーナ(レーネ・セシリア・スパルロク)はエレ・マリャという名前だった。当時、サーミの人たちはスウェーデンとの同化政策が図られ、一つの学校に集められ、サーミ語を話すと体罰を受けた。広い地域で自由に生きたいと願うエレ・マリャは学校を脱走し、クリスティーナと名乗って夏祭りに忍び込む。そこにいた都会から来た少年ニクラス(ユリウス・フレイシャンデル)と恋に落ちる。そして、ニクラスを頼って、都会へ向かうのだが…
【感想】
日本人から見れば、同じように金髪の白人なのに、サーミの人たちは体が小さいこともあり、侮蔑的な扱いを受けます。学校で担任(ハンナ・アルストロム)に高校進学を希望したエレ・マリャは、「サーミは文明にあわない」といわれて、勉強を禁じられます。さらに、学校を訪れた学者らは、サーミを標本の動物のように扱い、裸にして秤で顔の長さを測ったり、写真をとったりします。多感な少女にとって、どんなに屈辱に耐えなければならなかった、見ているこちらが怒りを覚えます。
しかも、その怒りは支配者たるスウェーデン人に向かわず、自分の血に向かったのでした。これも多感な時期ならではの過ちでしょうが、自分の家族は汚く、きれいなスウェーデン人になるためには、家族も名前も捨てるしかないと思い詰める彼女。一方、サーミの人たちはそんな彼女を裏切り者のように扱います。
そして、都会に出ても、サーミであることを突きつけられるのでした。何とか高校の授業にもぐりこんだクリスティーナですが、体操の授業で手足のすらりとした他の生徒のなかで、一人だけ小さく、ずんぐりした彼女は、あきらかに異物としてみられます。田舎のようにあからさまな差別語はいわれませんが、かえって、周りの見えない壁が彼女を傷つけます。
自分はサーミでなくスウェーデン人だと主張するクリスティーナでしたが、ニクラスの誕生パーティーで、周りの出席者から、サーミの伝統的な歌ヨイクを歌うように頼まれます。頼むほうは差別の意識はないのでしょうが、クリスティーナにとってはどんなに外見をとりつくろってもスウェーデン人になれないということを突きつけられたわけで、彼女のうつろな表情はみものです。
そして、現代パートでも、サーミの人への侮蔑は残っています。監督のインタビューを読むと、このような侮蔑的な発言は実際に聞いたことがあり、それよりもっとひどいこともいわれたそう。日本でも人種的な差別、偏見は、かつてのようなあからさまでなくても根強く残っています。あからさまな差別をしなくても、心の中で自分とは違う人たちと想っていないか、僕自身、この映画をみていろいろと考えさせられました。そもそも、サーミの学校のスウェーデン教師は、善意をもって教師をしているわけです。しかし、それでいてひどい扱いをする。彼女の名前はクリスティーナで、エレ・マリャがその名前を盗用したというのも考えさせられました。
人間の悪意と善意、民族とルーツさまざまなことを、10代の少女を通じて考えさせられる。秀作ですが、見終わった後ぐったりとしました。
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