2018年03月31日

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア

 ギリシア人の気鋭の監督、ヨルゴス・ランティモス監督がまたとんでもない作品を作りました。西洋文化の教養がないのでわかりにくい部分もあったけど、巧いなあ。

 作品情報 2017年イギリス、アイルランド映画 監督:ヨルゴス・ランティモス 出演:コリン・ファレル、ニコール・キッドマン、バリー・キオガン 上映時間:121分 評価★★★★(五段階) 観賞場所:ヒューマントラストシネマ渋谷 2018年劇場鑑賞77本目



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 【ストーリー】 
 心臓外科医のスティーブン(コリル・ファレル)は、郊外の豪華な家に住み、美人の妻アナ(ニコール・キッドマン)と中学生の娘キム(ラフィー・キャシディ)、小学生の息子ボブ(サニー・スリッチ)と幸せに暮らしていた。

 だが、スティーブンは密かにマーティン(バリー・キオガン)という少年を世話しており、マーティンが家に遊びに来る。礼儀正しいマーティンに一家はすっかり親しみを感じていた。だが、そのときから次々と不可解な災難が一家にふりかかる。やがてマーティンの秘密が明らかになり…

 【感想】
 前作のロブスターがひとをくったようなブラックユーモアの作品だったのですが、本作は不協和音のBGMや、長回しのロングショットなど、人の神経を逆なでするような演出が続きます。美しい美術、風景もかえって不気味。常識人であったスティーブ一家がどんどん狂気の渦に巻き込まれていくのは見ていて怖かったです。

 タイトルは古代ギリシア悲劇「アウリスのイピゲネイア」からきており、僕はこの話しは知らなかったのですが、大胆に現代的に翻案していますし、神話通りだとさらなる悲劇が起きるというのも恐ろしい。欧米の人にとっては基礎的な教養なんでしょうかね。

 明確な解釈はせずに、受け手にゆだねられるタイプの作品です。一ついえるのは、一家になぜ不幸が起きるのかというのはあまり関係なく、贖罪や人間の愚かさ、浅ましさを描いています。終盤の一家それぞれの行動は本当にやるせない。なぜ、このような結末になったのか、男女の差なのか、それとも単なる偶然なのか。家庭内で権力を持っていた父親、陰で操っていた母親の権威が失墜してしまったのに、ラストショットの晩餐というのは意味深でした。

 なんと言ってもマーティン役のバリー・キオガンの不気味さがなんともたまりません。ダンケルクの純朴な青年役が一転、こういう役ができるのが不思議。ポテトやスパゲティといった身近な食材の使い方も薄気味悪さをまします。子役2人もうまくはまっていました。

 また、コリン・ファレルとニコール・キッドマンの共演はついこないだ見たばかりですが、「ビガイルド 欲望のめざめ」で見たばかりですが、こちらのニコールのほうがはるかにぞくぞくする色気と女のいやらしさをだしているというのは、監督の腕の違いでしょうか。惜しみなく脱いでいますが、アイズワイドシャットから20年近くたつのに、均整とれたプロポーションが変わらないというのは、映画の内容とは別に驚くべきショットでした。
posted by 映画好きパパ at 06:43 | Comment(0) | 2018年に見た映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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