2019年06月28日

ハウス・ジャック・ビルト

 毎回賛否両論大騒ぎとなるラース・フォン・トリアー監督の新作は殺人鬼の告白。善良な市民の常識に真っ向から挑戦するような描写が多々ありました。一見、簡単そうだけど、宗教や芸術に詳しくないとわかりにくいこともあり、一筋縄ではいかない作品です。

 作品情報 2018年デンマーク、フランス、スウェーデン映画 監督:ラース・フォン・トリアー 出演:マット・ディロン、ブルーノ・ガンツ、ユマ・サーマン 上映時間:152分 評価★★★(五段階) 観賞場所:ヒューマントラストシネマ渋谷 2019年劇場鑑賞174本目



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 【ストーリー】
 1970年代のアメリカ、技師のジャック(マット・ディロン)は建築家になり自分の家を建てるのが夢だった。ある日、車が故障して対等乗していた女性(ユマ・サーマン)を弾みで殺してしまう。

 それがきっかけで殺人という芸術に目覚めたジャックは、何十人もの人を殺害していった。ジャックは、ヴァージ(ブルーノ・ガンツ)という男に、これまでの自分の遍歴を語り出す。

 【感想】
 タイトルもマザーグースからきているうえ、グレン・グールドの演奏シーンや世界の名画の数々がインサートされるというのは殺人という芸術を他の芸術と比べようとしたのでしょうか。ヴァージもダンテの神曲からとられているのでしょうけど、この辺、僕もよく分かりません。神曲もしっかり読んだことないし。

 ただその部分を除くと、ジャックがさくさく殺害していくのを、ジャックの視点からみているのがわかりやすい。彼はサイコパスで強迫性神経症を患っているということで、他人をかわいそうとか倫理的に問題ということが分からないわけです。本当に何の意味もなく殺人を重ねていく。でも、結局、映画なんてフィクションなわけだし、多くの映画は登場人物の死に感動なり、カタルシスを求めてるわけだけど、そうではなくて生物学上に死ぬだけで、むしろ芸術の材料になるならいいじゃん、という普通の映画をすべて否定しそうなところはいかにもトリアーらしい。ユマ・サーマンが日常にもいそうなちょっといらっとする女性を演じて、あっさり殺されるところは、同じく嫌になる気分をとる映画で有名なミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」を思い出しました。


 さらに、被害者にもほいほいついて行く落ち度があるわけだし、愚かさの代償を命で支払う
のをみると、口のうまいイケメンは信用できないということでしょうか。ここのあたりまでくるとブラックコメディーですよね。それを不謹慎ととる人が世の中の大部分だけど、トリアーはやはり人間、家庭、女性といったものが嫌いなのか、自分の好き放題にそういった世間を切り刻んでいます。

 とはいっても150分はちょっと間延びしたかな。特に終盤はかなり宗教がかるので、キリスト教信者でもない僕からすると、ちょっと肩すかしでした。マット・ディロンはお久しぶりで、印象はすっかり変わっていました。ブルーノ・ガンツはこれが遺作になるのかなあ。ライリー・キーオは、観ているこちらからするとおいしい役だけど、本人的にはどうだったのか気になるところでありました。
posted by 映画好きパパ at 07:11 | Comment(0) | 2019年に見た映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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