【ストーリー】
昔々、あるところにおじいさん(声・地井武男)とおばあさん(宮本信子)がおりました。おじいさんが山に竹を取りにいくと、1本だけ、光った竹がありました。竹を切ってみたところ、中から小さなお姫様が出てきました。
竹から出てきたのでタケノコと名付けられた少女(朝倉あき)はみるみる大きくなりました。村の少年、捨丸(高良健吾)らと野山を駆け回る日々でしたが、竹から高価な着物や金が出てきたのを見つけたおじいさんは、少女はお姫様であるべきだと、都に出て、かぐや姫と名づけて、高貴な姫として育てました。
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【感想】
誰もが知っているストーリーで、アニメオリジナルとして捨丸という幼馴染の少年との恋物語が出てきます。ただ、それによって随分、思想が強くなった感じがしてしまいました。それは田舎のエコ生活は素晴らしく、都会の虚飾に満ちた生活は非人間的であるということ。経済的に満たされるよりも、貧しくても清く生きる方が素晴らしいというものです。
さらに、かぐやが自己実現を最高のものとしてフラフラしているのもなんだかなあ。都会の満ち足りた暮らしの若い女性が、田舎の良さに気づくって、「おもひでぽろぽろ」と何ら変わらないじゃないですか。しかも、かぐやは基本的には運命を受け入れるだけの受動的存在です。そこへ、地位も名誉もあるイケメンたち(中にはそうでもない人もいますが)が押しかけてくるけど、片っ端から貢がせて振ってしまう。女性の評判がえらい良いそうですが、まさに、夢見る乙女の心をを鷲掴みしているのでしょうね。イケメンの男に貢がせ、田舎のワイルドな男と×××なんて、ハーレクインロマンスみたい。
私自身は田舎も貧乏な暮らしも嫌だし、自己実現がどうのという甘えた女性も好みではありません。従って、今回のかぐやも、多分世間では受けるのだろうなあ、と冷ややかにみていました。特に、おじいさんが、都での豪勢な暮らしこそかぐやの幸せと考えているのに、かぐやが嫌がっているのに気づかないという勘違いぶりは、親としては考えさせられるものがありましたが、でも、それだったら竹の中から金や着物を出さなくて、田舎の暮らしをさせればいいのに、月の世界は何を考えているのか、と思ってしまいました。
ジブリ的発想の何が嫌いかって、高畑監督にしろ鈴木プロデューサーにしろ、もう人生の勝ち組じゃないですか。それがこうしたエコみたいな思想を振りまくのが、生理的にダメなんですよね。
悪口を書いてきましたが、予告にある京都の夜道を着物を脱ぎ捨てながらかぐやが走っていくシーンなど、画面にみとれてしまう場面は多々有ります。僕のようなひねくれた見方をしない限り、十分堪能できると思いますので、映画館でみるのをおすすめします。★★★★(TOHOシネマズ六本木)
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